VOICE 追跡店長!vol.4 マリンクラブ 凪(ナギ)
青の洞窟ツアーの火付け役となったマリンクラブ凪 稲村代表の思いを取材しました!
Q.以前の仕事とか、これまでやってきた事を簡単に聞かせてください。
基本的にあまり勉強が好きではなく、学校の成績も良くなかったので、何か手に職をもたなければと思っていました。わりと料理は好きだったんで、料理関係の仕事に付くのかなぁと漠然と考えていましたね。
高校生の頃、たまたま家の近くのケーキ屋でバイトをしていたんですがケーキ職人もいいかなと思い、高校を卒業してそのまま就職してしまいました。それから1年半ぐらいケーキ屋で働いてたんですが、少しお店の内情がごたごたしてきたので、一旦ケーキ屋をやめて、それから今度はパン屋のアルバイトで働き始めました。
それから、仕事の休みを長めにもらって、バイクで南に南下するといった旅に出まして、最終的に沖縄まできました。
久高:以前に本格的に素潜りをやっていて、世界大会にも出場したと聞きましたが、その辺は、その頃からやっていたんですか?
いえ、その当時は今のようにマリンスポーツなど全然やってなくて、釣りをしたり家の近くの海に行ってサーフィンやっている人達や海をただ眺めているといった感じでした(笑)。
沖縄で知り合った方が海関係のお仕事をされていて、その方にダイビングのインストラクターをしている方を紹介してもらい、初めて沖縄でダイビングを経験しました。その時の沖縄の海が思った以上に感動的だったんで、ダイビングを本格的にやりたいと思ったんですが、なにせその当時はお金が全然なかったんで、ダイビングではなくお金のかからないシュノーケリングばっかりしてました。
暇さえあれば一人でシュノーケリング行ってたんですが、泳いでいると潜りたくなるじゃないですか、それでそのあたりから素潜りをして遊んでいましたね。
それから、しばらくやっていたら深く潜れるようになって、周りにいた知り合いのダイバーもみんなびっくりして、結構褒めてくれたりしました。それで少しづつその気になって、当時の日本の素潜りの記録を調べていたら32メートルがその当時の日本の記録だったんですが、自分がその当時15メートルぐらい潜れたりしたんで、あと15メートルぐらいならできそうだと思っていました。
いつものように真栄田岬で一人で素潜りをやっていたら、当時沖縄に素潜りのチームがあって、そのメンバーが自分の潜る近くで素潜りをしてて、その方に声をかけられ、そのままメンバーに入って、本格的に素潜りをはじめるようになりましたね。
メンバーは基本的にみんな一般の社会人の方で、平日はそれぞれ仕事をしてて、週末に集まって活動するサークルでした。で、その時に僕の師匠である、ケニー高橋さんって方がいて、その師匠に指導してもらい、本格的にトレーニングをするようになりました。たまたま日本の代表選考会があって、それにうまく入れて、記録も徐々にのびていって、46メートルまで潜れるようになっていました。
へ〜、結構すごいですよね。46メートルの海の中って真っ暗なんですか?
稲村さん:いや、全然明るいですよ。50メートルぐらいだとまだ光が届いているので。
久高:で、素潜りでトレーニングとかやって、結構大会でもいい線までいけるようになって、この仕事でやっていくといった選択肢はなかったんですか? プロの選手になるとか?
稲村さん:いやー、それはなかったですね。素潜りだけでは食べていくにはなかなか難しかったので。当時日本で素潜りだけで生活している方はいませんでしたから。僕の場合一度、世界大会に出てそれで満足しちゃったんで、それを本職にっていう感じではなかったですね。現在でも日本でフリーダイビングだけで生活している人は、ほとんどいませんし。
久高:50メートルの深さってどれくらいでいけるもんなんですか?
稲村さん:そうですね。行って、帰ってきて2分半ぐらいですかね。酸素の消費を出来るだけ減らしながら潜って行くんです。行きはある程度潜ると浮力が減るので、なにも動かずに落ちていきますが、上がる時は落ちるマイナスの浮力を蹴り上げていくので、結構大変でした。肺も水圧で圧縮されて小さくなるので耳抜きも調整しながら潜らないといけないんですが、息が続くのに耳抜きが出来ないなんて事もありましたね。自分は、いままで部活とかやってなかったんで、なにか好きなことに対して打ち込んで、しっかりやり遂げた事が無かったんですが、世界大会に出れた事でそういった達成感みたいのはありましたね。
そのことを通して世界観とか変わったんじゃないですか?
稲村さん:そうですね、精神性の世界に入っていくというか、内向きに思考が向いていきますよね。
久高:今はほとんどやらないんですか? 仕事上で行き詰まったり、精神的に参っていたりした時に潜りに行ったりとか?
稲村さん:そうですね。素潜りは、何もつけないほうが気持ちがいいので、水着一枚で動かずに浮いていたりとかはしていましたけど。最近は素潜りやってないですね~。
Q.今の仕事を始めるきっかけって何だったんですか?
そうですね。きっかけは、やっぱり素潜りですね。結局、21歳の時は、素潜りがメインだったんで、それにあわせてトレーニングとかやって、バイトしてお金貯めて、で、実費で大会に行くんですけど、いざ、帰ってくると、ほとんどお金がない状態で、そこで、そろそろちゃんと仕事をしなきゃと思い、自分ができるシュノーケリングを教えたり、素潜りを教えたりする仕事をしようと思って「シュノーケリングサークルイルカ」っていうのを立ち上げました。マリンクラブ凪の前身ですね。
久高:そんなんですね。 それは最初から法人的な感じではじめたんですか?
稲村さん:いえ、ほとんどダイビングやシュノーケリングが好きな人が集まってできたサークルですね。それで、名刺を作って、近くの大学に行って、新入生歓迎会などの時に会員を集めるためにビラ配りとかしてました。
その後、素潜りだけでは食べていけないんで、知り合いのダイビングショップをされている方にお世話になり、そこでライセンスをとったりしました。そのころから凪(ナギ)というショップを立ち上げて本格的にダイビングショップをはじめました。
Q.沖縄での生活を選んだのはなぜですか?
そうですね。とくに沖縄に対する強い思いはなかったんですが、鎌倉にいる時の休暇でバイクで旅をしている時に、とりあえず日本の一番南の沖縄に行こうっていう軽いノリできました。寒いのは嫌なので。 でも、その時に沖縄で滞在して、船で鹿児島に戻る時に、なんか「沖縄に対する思いが」来る前とは違っていて、また沖縄に戻ってきたいなっていうか、また沖縄に戻ってこなきゃいけないんだといった感情が込み上げてはきました。で、それから一旦地元に帰って、沖縄へ行くための準備をして、また沖縄に戻ってきました。
久高:それは、また急ですね。決断してから行動に移すのは早いですよね。沖縄に引っ越すとなると、それなりにある程度の資金も必要だと思うんですが、そのへんは大丈夫だったんですか?
稲村さん:いや、それはもう、ぜんぜんないですよ。沖縄に行く片道切符と少しのお金だけもって沖縄に移り住んできました。 あの時は、まだまだ若かったんでそんな無謀なことができたんだと思います。とりあえず、住むとこはテントで生活すればいいやくらいに思って来ました。
なかなかできない行動にでてますよね。ある意味人生をかけて沖縄にきたって感じですよね。
稲村さん:いろいろ心配はあったんですが、知り合いも出来たので、沖縄に来てすぐ仕事は見つかって、どうにか生活はやっていけましたね。で、その時に働いたのもダイビングショップだったりしたので、いろいろ知り合いもできました。
久高:話を聞いていると、結構大変だったと思いますが、ピンチな時に、いい出会いがあったり、周りの友人に助けられたりして、うまい感じでいっていますよね。そのへんは、やっぱり沖縄に来ることが運命だったのかなって感じました。休暇の旅で沖縄まできてなかったら、素潜りもやってなかったし、いまのナギというショップもできてなかったし。
稲村さん:そうですね。今のような仕事はまずしてなかったですね。いまだにパン屋やっていたかもしれません。(笑)
Q.事業を立ち上げる時って不安とかなかったんですか?
そうですね、でも、素潜り代表になったっていうのが大きかったと思います。なかなかだれでも経験できないことができたんで、人生観だとか、もちろん素潜りの技術とか、そういったものを誰かほかの人に伝えていけるんじゃないかという思いが強かったんで、どこかのダイビングショップで働くというよりは、自分でやっていきたいといった思いが強かったです。
久高:なるほど、これまでの流れでいくと、自然と思いはそうなりますよね。表現したいものや、伝えたいものがあるって何かを始める原動力にはなりますよね。自分がもっている経験や世界観など。
たまたま自分がやっていた、素潜りとかシュノーケリングって、立ち上げ当時はあまりやっている人が少なくて、むしろダイビングのほうが人気があって、自分はもともとシュノーケリングで、青の洞窟で泳いでいたので、この青い神秘的な洞窟の中を泳ぐと、みんな必ず感動すると思っていたので、独立してダイビングショップをやっていくことにあまり心配はなかったですね。まだまだ青の洞窟が今のようになる前から細々と、シュノーケリングでツアーやっていて、その時もかならず人が集まると確信していましたね。でもヒットするまでは地道に営業活動とかやってました。万座毛までいってチラシ配ったりとか。
久高:そうなんですね。 でも楽しそうです。
そうですね。その時はそれで楽しかったです。それから、しばらくして、溜まったお金を全部つぎ込んで、大手旅行系の雑誌の見開きで、青の洞窟の広告を出したんですが、その時から一気に人が来るようになりましたね。あの時の反響は今でも鮮明に覚えています。
久高:まだまだ青の洞窟がヒットする前ですからね。それは嬉しかったんじゃないですか。それで売り上げもすごかったんじゃないですか?
稲村さん:そうですね。結構お客様も来てくれました。それからその後、広告の味を覚えて、売り上げをそのまま全部、またもう一回同じように広告を出しましたね。それもまた当たって、どんどん売り上げも上がっていきました。
久高:すごいですよね。事業をはじめたのも、広告を出したのもすごくタイミングいいですよね。青の洞窟って、昔はほとんどだれもいませんでしたよ本当。この近くの真栄田岬もそうでした。今では考えられないですよ。でも、いいとこ見つけましたよね。ちょうど目の前が真栄田岬ですし。
稲村さん:この場所も縁で、宜野湾の時はアパートでやってたんですね。そのあと、凪を立ち上げてかたら読谷に移って営業とかいろいろやっていたんですが、その時の大家さんが、読谷の事務所を壊して、アパートたてるからっていわれて、その事務所をでることになり、事務所を探していたら、たまたま素潜りで知り合いになったお医者さんがいて、その人が、使っていない土地があるから使っていいよって言われて、移ってきたのがこの場所だったんです。本当に感謝していますね。
小さいトレーラーから始めて、その翌年にるるぶの広告で大ヒットになるんですが。
久高:ん~、すごい強運ですよね。本当いろんな人に恵まれていますよね。
Q. 経営していく中で大変だった事ってありますか?
そうですね。精神的にきつかったのは、自分の場合、人でしたね。とくにスタッフとの関係なんかで、意見が合わなくぶつかったりする時期もあって、その時に、自分の意見や考えが正しいのか、間違っているのか、どちらも正しいけど、どちらかを判断しなければいけないとか、でも自分の意見を通していくと、相手は自分から離れていくんじゃなかとか、いろいろ考えるときつかったですね。
結構僕はハートが強くないので、いろいろ考えちゃんですよね。そんな時がすごく仕事の面では辛い時期でしたね。
そうでね、でも仕事の悩みって、だいたい人間関係だったりしますよね。スタッフの教育とか。優秀な人材を集めて、キープするのって結構大変だったりしますからね。どの業界でも。でも、アクティビティの業界って、スタッフの離職率ってどんな感じなんですか? 定着するもんなんですか?それとも結構入れ替わり激しかったりするんですか?
稲村さん:いや~、そうですね。定着しずらいとは思うんですが、やっぱり、業種に関係なく、どの業界も同じなんだと思いますが、アクティビティの場合、大きい規模で組織的にやってるショップってあまりなくて少人数でやっているショップが多いので、やはり、スタッフもこれからのことも考えるし、ちゃんと企業として将来性のある会社にしていかないとなかなか定着率もついてこないと思いますね。その辺は、わたし自身の会社もまだまだそうですが、いまの沖縄のショップの課題だと思います。
そうですねよ、ある程度継続的にビジネスをやっていくには、しっかりした組織づくりとか企業の強みみたいなのを打ち出して、成果をだしていかないといけなくて、その辺はどの業界でも共通の課題なんでしょうね。
稲村さん:自分は、やっぱり人を入れてやるからには、そのスタッフの居場所を作ってあげたいと思っていて、自分も沖縄に来た時に、好きな素潜りをやっていた時期にやっぱり、お金がないと基本的な生活もできない、そのためには、一生生活していく稼ぎがすごく重要になっていくんだと、その当時すごく感じて、自分が、会社を経営する立場になっても、その生きていくための稼ぎは最低限確保しなくちゃいけないと思っているので、スタッフがずっと安心して仕事をできる会社にしていかないといけないといった責任感がすごくありますね。
すごいですね。すごく大事なことですよね。 実際にスタッフが将来に希望を持って働いていくことに対して、なにか工夫とかしていることってありますか?
稲村さん:そうですね、やっぱり、一つのショップだけだと上にあがれるポジションって限られてくるんで、プズマリとか、他の店舗を立ち上げて、そこに頑張っているスタッフを店長として昇格させたり、いきていく場所や、やりがいを少しでも増やしていきたいと思っていて、スタッフがいまよりもっと働きがいのある仕組みをどうにか増やしていきたいとずっと考えていますね。
久高:すばらしいですね。でもそういった考えがあるから、ここまで県内の同業のなかでもいい感じに成長してこれたんだと思いますね。本当これからもずっと頑張っていってほしいですね。
Q.凪(ナギ)さんのサービスやプランの魅力、こだわりをきかせてください。
そうですね。こだわりっていうか、今でも忘れず意識してやっているのは、自分が最初にダイビングをした気持ちや、感動をわすれずやっています。ショップのページにも書いてあるんですが、「初めての体験を一生の思い出に」といったテーマを掲げているんですが、実際、初めての経験って後のちずっと残っていたりするんで、最初にきてくれたお客さまに、最高の体験を提供できるようにスタッフ全員で意識してやっています。
またその体験を海というすばらしい場所に案内するので、そのフィールドでいい思い出になるのかそうならないのかはスタッフの配慮やサービスの質だったりするんで、その点は日々意識しながら取り組んでいます。
あと、自然が相手なんで、安全にツアーをおこなう環境や対策にも最善の注意をはらってやっています。いい状態でお客さまをお連れして、またいい状態で帰っていただく。そんな感じですね。
久高:でも、そういった稲村さんの思いが外部からの印象として伝わっていますよね。あと、サービスっていったところでなにかありますか?
そうですね、シュノーケリングとかもまだまだ人気があるんですが、通常のプランに加えて、ダイビングの講習や、インストラクターの養成コースもやっているので、一度体験ダイビングできた方が、本格的にダイビングを始める際に、うちでダイビングの免許や、インストラクターの訓練をうけるといったリピーターもいますね。
久高:おもしろいですね。 通販なんかのマーケティングでよく使われる、フロントエンドとバックエンド商品の形ですね。体験ダイビングで楽しんで、本格的に始めたい人を養成コースでもう一度きてもらう的な。通販の仕組みをアクティビティに取り入れても、まだまだいろいろできそうですね。
稲村さん:そうですね。シュノーケリングで来た人が、次はダイビングを体験しにきたり。ダイビングを体験した人が、今度はステップアップでダイビングの免許、または、インストラクターの資格など、ツアーの商品をクロスで展開できるのもナギの強みでもあると思います。
久高:ですね。あと立地条件も最高にいいですしね。
Q.最後に、将来的にやってみたいこと、具体的なビジョンなど。
何か、大きなリゾートホテルなんかの事業をやってみたりとかっていった計画とかあるんですか?
稲村さん:いあや~、もともと自分の場合、計算をして、計画的に物事進めていくタイプでもないんで、なんかこうスタッフや周りのみんなと生活している中でこう、チャンスが巡ってきたりとか、何かをやる機会に直面したりした時に考えていくみたいな、そう、何かいわるゆ経営者の感じではないんですよね。先を見越し何かをやるっていうか。
久高:いいですよね。テーマが来て、それをどうしようか的な感じの延長線にいまのナギがあったり、プズマリがあったりといった感じですよね。でも、おもしろいですね。その辺のビジネスへのアプローチの仕方が。参考になります。
稲村さん:何か一から作り出していくのは大変だし、厳しいなあって思っていたら、ある程度形が出来上がった案件が飛び混んできて、そのままその流れにのっかっちゃうみたいな。自分の進む方向って、頑張ってつかまなくても、目の前にあるチャンスや課題を見逃さないことだったりするんだと思いますね。
でも、そういった境遇や、状況も引き寄せる稲村さんに何か人や好機を引き寄せる魅力があるのかもしれませんね。稲村流引き寄せの法則って本書いても面白そうですね。
稲村さん:ありがたいですけどね。でも、自分でめちゃめちゃ考えてやってると、こんなうまくいかなかったかもしれませんね(笑)。あと、いま南部を拠点にアクティビティを展開する計画をすすめていて、もうすぐ南部あたりでSUPやカヤックあたりからサービスを初めていく予定です。また、糸満マリーナに船があるので、実は、糸満ってサンゴがめちゃめちゃきれいなんで、船を使ったツアーなんかもいろいろやってみたいですね。
でもアクティビティの業界も、もうそろそろ新しいことをやっていかないと、今までの形ではなかなか厳しくなると思うんですが、ツアーっていう点でも何か面白いツアーとかひねりのある企画とかが重要になってきたりするんじゃないかと思ったりするんですが、どうですか?
稲村さん:そうですね、それはすごく感じますね。これまでのように名前だけでは売れる商品ってつくるのが難しくなると思いますね。慶良間とか、青の洞窟とか、なので、なにか名前ではない、おもしろい企画とか考えていきたいですね。
ぜひ、つぎの沖縄のアクティビティの人気ツアーを作ってください(笑) 体験ライフでもその辺は、これまでの垣根を越えて、おもしろいツアーをショップと一緒に作っていけたらと考えています。ぜひ、その際はよろしくお願います。今日は忙しい中、お時間いただきありがとうございました。
稲村さん:ありがとうございました。
マリンクラブ 凪(ナギ)の3つの魅力
女性に大人気!充実のサービス内容
マリンクラブ ナギは青の洞窟に一番近いショップ!青の洞窟エキスパートのナギは安全管理はもちろんカメラ撮影や魚の餌やり、シャワー、駐車場、送迎バスが全てが無料です。万が一の時もスタッフ全員が有資格者インストラクターなので安心安全。
ナギは創業16年、人気ダイビングスポット
マリンクラブ・ナギでは様々なマリンスポーツをお楽しみ頂けます! 真栄田岬《青の洞窟》はダイビングスポットの中でも最も人気のある場所です!青の洞窟まで徒歩で行けるのもナギの魅力です!
スタイルに合わせて楽しめるプラン内容
①気軽にお楽しみいただける《アクティビティー・プラン》
②本格的にダイビングを始めたい方へ《PADIライセンス講習》
③ライセンスをお持ちの方へ《ファンダイビング・プラン》
この記事の関連ショップ・プラン
この記事を書いた人
20代の頃、活字の世界で働きたく、新聞や雑誌などに短編小説やコラムを投稿。2000年にシンガポール、ドバイ、エジプト、イスラエル、ヨルダンを一人旅。いろんな境遇の人たちとの出会や交流を通して、日本での生活ではできない貴重な体験をさせていただきました。 その後は、活字の道を諦め、幾つかの企業で、セールスや営業活動を経て、1998年より、食品製造メーカーでの商品開発やマーケティングなどの業務に従事。沖縄県の中小企業を中心としたコンテンツの企画・制作。顧客獲得の為のマーケティングサポートを行う。沖縄アクティビティの魅力を沖縄県内外に発信していきたいと思います。
Other posts by 久高 将敦
この記事を見た人にオススメの記事
VOICE 追跡店長!vol.6 JOYSUP×SURF
Q.以前の仕事とか、これまでやってきた事を簡単に聞かせてください。 相原さん: そうですね。自分はずっと飲食のお仕事をやってきました。働き始めたのが結構早くて、中学生の頃に居酒屋でアルバイトをはじめたのが最初でした。 久...
VOICE 追跡店長!vol.5 やんばる自然塾
Q.以前の仕事とか、これまでやってきた事を簡単に聞かせてください。 島袋さん: そうですね。今の仕事で2つ目になるんですけが、以前の仕事は建築関係でした。建物の設計などCADを使って図面を作っていました。そうですね、それを5年くらいやっていましたね。 ...
VOICE 追跡店長!vol.3 アースシップ沖縄
以前の仕事、これまでやってきた事を簡単に紹介 古賀さん: そうですね、自分は高校を卒業してすぐ岐阜県にあるアースシップというアクティビティ会社の本社の方で8年(10年以上)お手伝いさせてもらっていました。結局ずっと同じ職場で勤めていたので、仕事に関して言えばアクティビティ以外のお仕事の経験がないんです。 久高: ...
VOICE 追跡店長!vol.2 ネイチャーサービスマハエ
Q.以前の仕事とか、これまでやってきた事を簡単に聞かせてください。 そうですね、まったく畑違いではないのですが、小さい頃から体を動かすことが好きだったので、将来は体育の先生になりたいとずっと思っていました。大学を卒業して、体育教師は諦めましたが、社会人になって最初のお仕事がマウンテンバイクのメーカーに勤務し営業の仕事をしてました。もともと体...
VOICE 追跡店長!vol.1 アルガイド沖縄
これまでやってきた仕事など簡単にご紹介いただけますか? スノーボードやインラインスケート、あと船の操船などを教える仕事といったスポーツインストラクターの仕事をずっとやってきました。 沖縄に移り住んだ後も、大自然の魅力といったものをひとりでも多くの方に、教え、伝えていく働きにずっとこだわってやってきました。 目の前にある自然を体験することによって、汗をかきながら教えるこ...